桑野造船株式会社
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平成22年度 高体連ボート部会報「漕跡」 寄稿文

古川 宗壽

高校生の皆さんに先ずお伝えしたい言葉は「ようこそローイングの世界へ」です。 私は50年以上も昔に瀬田工業高校に入学し、直ぐにボート部に入って以来、現在までローイングとの関わりを続けてきました。それを称して「ボート人生フルコース」なんて自嘲気味に云っています。

昨年カナダで開催されたFISAマスターズレガッタで漕歴51年目にして初めて世界で金メダルが取れました。たとえ皆さんがインターハイに勝てなかったとしてもあなたのボート人生は心配ありません。しかし、スポーツにおいて勝つことも大切なことです。目標に向かって懸命に仲間と協力することで人生を学んだり、心を許せる友人を作ることができるからです。どれだけ真剣に向き合ったかで成績とその価値がきまります。
自慢話のようですが人生フルコースにおける時々の話を紹介して50余年のボートとの関わりの楽しさをお伝えできればと思います。

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高校に入った当時は何となく学業にもボートにも自信が持てない不安な時期を過ごしました。いつも挫けそうになる駄目な自分を情けなく冷ややかな気持ちで眺めていた記憶が鮮烈にあります。おどおどした田舎の高校生からのスタートでした。でも今から思えばくそ真面目の裏返しで青春時代特有の現象だったようにも思えます。それでも3年生になる頃には何となく自信が持てる自分がいて、あんな嫌なボート漕ぎも俺の人生表現はこれしかないと云う気持ちが芽生えていたようです。最高の成績はインターハイ4位入賞でした。

高校を卒業してからもボートを漕ぎたい、それしか自己表現手段がないと考えるようになっていました。近くの社会人チームの東レ滋賀に入社、と云うより推薦入部を希望しましたが体格が少し足りない理由で一旦は断られました。仕方なく正式入社に挑戦したら意外にも合格して入社、だからボート部は裏口入部です。

配属先が研究所になって歴然とした学歴差を味わい、当然ボート部では補欠でした。また、高校入学当時の気持ちに逆戻りです。 私のボートとの関わりはこんな始まりですから順風満帆でもエリートでもありません。逆にこのコンプレックスがボートへのエネルギーでした。
高校生時代でのローイング、言い換えれば総ての人のジュニア・ローイングが昔の私のようにストイックで求道者のようであるべきだとか、勝つことが最優先とは考えていません。生涯にわたるローイングと関わりにおいてジュニア時代にどのような始まりが大切なのかを関係者は心を配るべきです。個人に置いてはスポーツをやる環境や資質の違いがあるのですから大らかな指導が現代は特に大切でしょう。今回は私の思い出話です。

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何年かして東レ滋賀のキャプテンになっていて国内では連戦連勝で「負けたヤツは死ね」くらい勢いの鼻持ちならない自分がいました。確か3年間くらい、国内の総てのレースで一度も負けなかったことがあります。でも体が小さい悩みは頭から離れることはありませんでした。メキシコ・オリンピック代表選手には選ばれなくて悔しくて悲しくて夜には涙が溢れました。当時の漕艇選手の選抜は身長、体重測定に始まって1000mランニング、背筋力テスト等で選ぶ方法です。実際の個人漕力を知る方法がない時代でした。 

あるときオーストラリアで漕力測定機なる装置が発明されて個人の漕能力が測定できる情報を聞きこれだと思い、この機械を使って個人の漕能力、つまり自分の漕力を証明できると飛びつきました。電気技術屋のはしくれだった私は大学の先生の指導を受けながら改良してパソコンをつないだ6分間漕シミュレーション装置を作りました。現在のローイング・エルゴメータの原始版です。6分間漕の測定根拠はエイト2000mレースを想定しての個人漕力を測りたかったからです。

しばらくして日本ボート協会からこの装置でソウル・オリンピックの選抜エイトを選考する仕事依頼がきました。私はこのエルゴのデータだけでエイトメンバーを選考しました。選考が終えたらお前が選んだ責任上、日本代表選抜エイトのコーチをやれとの話がきて、いつも補欠で泣いてきた私が突然にオリンピックコーチになったのです。いい加減な話でコーチの勉強なんてしたことのない者がオリンピックのコーチになったのです。私のコーチの勉強はここからが始まりでした。
この後、米国コンセプト社から簡易型のエルゴが販売されて爆発的に世界に普及して個人の漕力を知るのは今や当たり前になりました。初めてのエルゴ大会なるものを1988年に戸田と滋賀で企画したのが現在のマシンローイング大会の始まりです。

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1970年の第三回の世界選手権にM4+で東レ滋賀のメンバーとして初めての海外遠征をしたのはカナダのセント・キャサリンです。自信を持って出かけたのに惨敗だったことよりも衝撃を受けたのは日本では見たことも聞いたこともない地域ローイングクラブの存在でした。

艇庫とは別に離れた丘のうえにきれいなクラブハウスがあってそこには首相も遊びに来るとかと聞いて仰天しました。艇庫では高校生からお年寄りまでがそれぞれのローイングをやっていて天井にはオリンピックで優勝したエイト艇が吊ってありました。私のボート感は大きな衝撃を受けました。「東レ?君達は会社の仲間だけでボートを漕いでいるのはどうことなのか」と質問されてもどう答えることも出来ません。それまではボートは学校か会社で漕ぐものだとばかり思っていました。会社の中にボート部を持つのは東アジア地域の国のことだと後になって知りました。ヨーロッパでは大学にボート部があるのもめずらしいのです。

このときに日本でも地域クラブを作ろうと思い立ったのです。それが現在の瀬田漕艇クラブ創設への大きな動機となりました。ボートを漕ぐのは強健な若者だけの特権ではありません。競技選手で居られるのは長い人生の視点で見ればほんの一時期です。競技生活が終わってからどのようにボートと関わり、漕ぎ続けるかです。世代と競技レベルを越えて集るクラブが欧米では圧倒的に多いのです。われわれの理想はこのようなクラブであり、生涯を通じてボートを漕ぎ、友人をつくり世代間交流をすることです。

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そんなことで51年間ボートを漕ぎ続けてきたので友人が世界中にたくさんできました。お陰で体も心もすごく元気で過ごせています。皆さんも高校や大学を卒業したときに引退なんて言わないことです。まだローイングの入り口なのです。これからすばらしいローイング人生が待っているはずです。私は最近になってボートを作る造船所を経営していますが自宅から会社まで琵琶湖を13km漕いで出勤もします。勝手に「湖上通勤」なんて言っています。選手〜コーチ〜ボート作りと、まさにボート人生フルコースなのです。

ローイングは科学です。競技力は物理学や運動生理学等に基づいて理屈どおり構成されています。その中で目標に向かって極めて論理的に営々と仲間とともに努力を積み上げて行くのです。その結果には偶然とかラッキーが入り込む余地はありません。ある時にはそんな自分たちの努力を吹き飛ばすかの偉大な自然を相手にします。抜け駆けも認めない正義のスポーツです。だからボートを漕ぎ、愛する人達への社会からの信頼感は大きくて世界共通です。米国ではこの価値観に若者が共鳴してどんどんローイングに集まってきているらしいです。私は日本でもこのすばらしいスポーツをもっと広めたいのです。 
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